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2022年富士ヒルに向けてのトレーニングをまとめた

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レース
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2021年富士ヒル

今でも忘れない。あの日、千切れてしまったあの瞬間を。

2021年6月。第17回Mt.富士ヒルクライム。第4ウェーブでの出走。

パワーもPWRも過去最高を記録して臨んだレース。

2021年の富士ヒルに向けてはTrainerRoadをメインに行い、20分5倍の壁を超えることができた。

何か良い結果が得られるものと思っていた。

ゴールドリングを獲りたい!」

なぜゴールドを獲りたいのかは自分でもよく分かっていないけど、いつからかそれを欲するようになった。

ゴールドリングを獲れば自分自身を認めることができるとそう思っていたんだろう。

レースでは友人が声を掛けてくれたおかげで、大きなゴールドトレインに乗ることができた。

しかし、現実は甘くなかった。

40分前後でトレインからナチュラルに千切れて試合終了。

そのトレインに最後まで残っていたものだけがゴールドリングを獲得することができたのだ。

帰りの車中、悔しくて、ひとりで涙した。

あの千切れた瞬間をずっと忘れられず、脚を止めたくなる時は何度もそのシーンを思い出すようにしていた。

その悔しさがきっと自分自信を強くすると思っていた。

2021年富士ヒル終了後〜

2021年の富士ヒルが終わり、第2子が生まれた。

思うようにトレーニングができなくても気持ちはいつも富士ヒルを向いていた。

そう、ゴールドリングを獲るまでは俺は終わることができない。そう思ってたし、今もそう思っている。

TrainerRoadは High Volume から Mid Volume に変更した。

子どものことを考えたら当然だ。むしろ乗らせてもらえることに感謝しなければならない。

しかし、トレーニングボリュームは前年の半分〜3分の2程度で月20~30時間ほどだ。

それでは現状維持することもできなかった。

下っていくFTP、下がっていくPWR。友人と走っても付いていくのが精一杯だ。ペースが上がれば当然千切れる。

数値が全てではないが、客観的なデータとして俺に現実を突き付けてくる。

満足にプランをこなせないのでTrainerRoadは解約した。

TrainerRoadが悪いのではなく、時間を確保できない自分自身が悪い。

2021年12月〜

冬場からSSTと高強度をミックスするように変更した。

SSTは10分走 x 4本、高強度はRattlesnakeがメインだ。

得意なSSTと苦手なRattlesnakeを組み合わせることでFTPは若干上向いていたが、それでも以前のピークには遠く及ばなかった。

20分4.7倍が限界だった。

「過去の自分自信を超えることはもうできないのか…」

そう思っていた。

2022年2月下旬〜

2022年2月末、転機が訪れる。

家庭や仕事を調整して少し乗れる時間を確保できるようになった。

それまでは月20~30時間だったトレーニング時間が、2022年3月には71時間33分と劇的に増えた。

当たり前だが、今までたいして乗っていなかったのだから毎日脚が重くて痛かった。

トレーニング内容としては主にZ2領域のベース走。

低強度だからといって侮ることなかれ。

ベースができてない自分にはとても過酷な時間だった。

だが、3月後半には少しずつ慣れ、このベース走を行なったことで身体は絞れ、確実に変化が起こっていた。

高強度は週に1度しか行なっていない。

Zwiftチーム「TMR」としてチームタイムトライアルに参加させていただいたり、週末に猛者すぎる猛者と走らせていただいたり。(秒で千切れたことは言うまでもない)

そして、2022年4月、20分5倍まで戻すことができた。

「今年もチャンスはある!」

そう思えた瞬間だった。

2022年4月は月間45時間、この月も低強度メインで週に1度高強度(Rattlesnakeなど)を行うだけだった。

2022年5月は月間58時間。同じように低強度メインだが、週末は外を走りにいくようにした。

それまで月に1度しか外を走っていなかったので、実走に脚を慣らす必要があった。

同じように富士ヒルに出る仲間と練習をした。

後に彼らとは富士ヒルでも一緒に走り揃ってゴールすることができたので練習した甲斐があった。

パワー自体は前年と同じ程度なのに、走りは全く違い、格上の仲間から千切れることなく、峠のタイムも圧倒的に速くなっていた。

峠によってはStravaのトップ10に入ることもできた。

2022年6月。

何度か六甲山を登った。再度山〜一軒茶屋ルート。

このコースは1時間ほどのコースで、道中下りもあるが長く踏み続けるという意味では良いコースだ。

自分が最後に登ったのが2019年で1時間3分台だった。

2度、3度と走る度に走りは良くなり、なんと1時間を切ることができたのだ。

1時間を切っている数少ないサイクリストは猛者ばかりで、ゴールドリング獲得はもちろん、年代別優勝している方もいる。

自分もギリギリではあるが1時間を切ることができたのは自信となり、富士ヒルへの期待となった。

決して過信はしていない。

酸素カプセルやマッサージを行い身体のコンディションは良すぎるくらいだ。

さぁ、行こう、富士ヒルへ!

2022年6月12日第18回Mt.富士ヒルクライム当日

2022年6月12日(日)富士ヒル当日。

圧倒的に睡眠不足だが、身体は軽く、コンディションはかなりよかった。

一緒に走るメンバーにも恵まれた。

練習してきた仲間が隣にいることがどれだけ心強いことか。

レースが始まり、前年に千切れてしまったポイントを通過して「去年はここまでだったな。去年の自分を超えることはできたな」と思った。

序盤こそ遅れていたものの、遅れを取り戻し、途中まではゴールドペースだった。

そう、大沢駐車場までは。

しかし、大沢駐車場を過ぎたその後は強い向かい風だった。

その向かい風は、疲労し、4人にまで減った集団の心を折るには十分すぎるものだった。

いや、心は折れていない。諦めてもいない。

だが現実は時に厳しく、その後ペースを上げることはできず65分51秒でゴール。

最後まで残った4人全員が65分台と悔しい思いをしたのだ。

今年で最後にしたかったが、ゴールドリングはまた来年への宿題となってしまった。

しかし、トレインに付いていくことしかできず、そして千切れた前年とは見えた世界が全く別のものとなったいた。

友人たちだけで形成されたトレインは序盤に遅れこそあったが、ローテーションもうまく機能し、ペースの管理も自分たちで行うことができたのだ。

他力本願とは全く違う、自分たちで獲りにいくことを目指した65分間だった。

この65分間は一つのチームとして機能し、心が通じ合い、とても楽しい時間でもあった。

この経験は来年必ず役に立つだろう。

次の富士ヒルまで、もう1年しかなんだ。忘れ物を取りに行こうじゃないか。

まとめ

2021年富士ヒル後〜2022年2月中旬までは、中強度〜高強度メイン、低強度はほとんどなし。

2022年2月下旬からは、低強度メイン、高強度は週1回のみ。

2022年5月からレースを見据えて実走を増やし、友人と走ることでレース感覚を養っていった。

2022年6月は最終調整で再度山〜一軒茶屋ルートを走り、長時間踏み続けることに慣らしていった。

どのトレーニングが正解なのかは分からないけど「ボリューム」を担保できないと強くなるのは難しいと感じた1年でした。

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